安倍首相は8月15日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて献花した。
一方、靖国神社には代理の者が玉串料を届けただけ。
これは、おかしくないか。
靖国神社には全ての戦没者の御霊が祀られている。
英霊たちは生前、「死んだら靖国で会おう」と誓い合って、
散華された。
明治・大正・昭和3代の天皇がご親拝を重ねられ、
今も春秋の例大祭には欠かさず、天皇陛下から勅使のご差遣を戴く。
その靖国神社を差し置いて、身元不明の戦没者の遺骨を納めるに
過ぎない千鳥ヶ淵戦没者墓苑での献花だけで済ませるとは。
本末転倒も甚だしい、と言う他ない。
同墓苑の建設に当たっては、それが靖国神社の存在と抵触しないかが、
問題視された経緯がある。
これに対し、政府は当時、国会で以下のように明言していた。
「この墓はあくまでも、引き取り手のない言わば無縁仏の遺骨であり、
従って国民全体の崇敬の的である靖国神社と対立するものとは
考えない。
将来、外国使臣が来ても、これを全戦没者の代表として
政府で案内するようなことはしない」と
(昭和31年12月4日、衆議院海外引揚特別委員会)。
更に、かつて旧社会党などがこの墓苑を、
ことさら反靖国の拠点化していた事実もある。
安倍首相は今後、代々の首相が今回の前例を踏襲して、
靖国神社への参拝ではなく、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で
献花する慣行が定着してしまう恐れを一切、考慮しなかったのか。
この度の安倍氏の行動は、
ご本人にその自覚があるかどうか分からないが、
政府が率先して靖国神社の存在意義を否定したに近い。
昨年10月、アメリカのケリー国務長官とヘーゲル国防長官が揃って、
同墓苑で献花を行い、安倍首相が靖国神社に参拝しないよう、
露骨に圧力をかけた。
この時、中国や韓国の批判には内政干渉と激しく反発する人々も、
ほとんど何の反応も見せなかった。
安倍氏はそれを振り切って
(又は、圧力をかけられている危機感もなく)参拝を行い、
アメリカの「失望」を買った。
すると翌年には、たちまち靖国参拝を取り止め、
アメリカの「指導」通りに千鳥ヶ淵献花に切り替えたーようにしか
見えない。
まさに、アメリカ「帝国」の「属領」に相応しい振る舞いだ。
安倍氏が「尊崇」しているという、
祖国の独立と栄光を願って尊い一命を捧げられた英霊たちは、
このような振る舞いをどう見ておられるだろうか。
少なくとも、かかる「属領」において、
「集団的自衛権」なるものが持つ意味が、一人前の独立国と、
全く異ならざるを得ないことだけは、確かだ。